さくるの女子力アップ講座 中級編 女子力マインド①
わたし自身、気が弱いせいか(人は信じてくれないと思うよ)
なにかするときには、心構えについてよく考える。
不安を打ち消し、勇気を持つための心の構え。
女子力を上げるにあたっても、考えてみた。
1. そのへんのおじさんにはいわせておく。
わたしから見てとても女性らしいある女性が、飲み会の席でおじさんからいわれたそうだ。
「◯◯さんには女子力が不足してますねえ」
飲み会なんだし、いったのはおじさんなんだし(おじさまじゃないし、おじさまはそういうこといわないし)ぜんぜん気にすることはないと思う。
これ、おじさんはただちょっかいを出しているだけなのだ。
反応が欲しい。
「いやーん、傷つきますう」なんていってもらいたい。
誰がいうか。
「どうしたら女子力があると思っていただけるんですかあ」なんていわれたら最高。
誰がいうか。
そのへんのおじさんにはいいたいだけいわせておけばよい。
これは、マスコミも同じである。
「いま女子力とは」と論じるメディアがあっても、気にしなくていい。
女性の社会的立場と結びつけてなにかいわれても、さくるが提唱する女子力とはまったく関係ない。
これは自分自身の内側のことだからね。
2. そのへんのおばさんにもいわせておく。
さくるの過去に、女子力がめざましく伸びた時期があった。
そのとき、そのへんのおばさんからいろいろいわれた。
「女が濃すぎる」「胸(もっと直裁な表現)が見えている」などなど。
前者はスルー、後者には「胸が見えるっていうのはね、ぜんぶ見えるってことなのよ」と啖呵。
いまから思えばお恥ずかしい。
でも、この勢いは大事だといまも思っている。
わたしたちがこれからなろうとしているのは、おばさんではないもの、である。
そのへんのおばさんのいうことには、耳を貸さずともよい。
3. 美魔女とは違う。
美魔女って、見かけ年齢と実年齢の差にこだわる。
ほんとうは47歳なのに、32歳にしか見えない、とかね。
差があればあるほど美魔女指数が上がるのだろうけれど、それは、実年齢に、より価値を持たせていることに他ならない。
美魔女になろうとしていない47歳よりも、美魔女47歳のほうが、47歳に寄りかかっているわけだ。
だから、見たところ綺麗は綺麗なんだけど、どこか茶色いものを感じる。
内面の47歳が、寄りかかられる重みで、実年齢より老けてしまっているのだ。
女子力を上げることによって、見た目が若返ることはおおいにある。
自分に期待して欲しい。
でも、それは美魔女方向に若返るのではなくて、その女性自身の生命力が輝く若返りだ。
実年齢分の経験が生きる若さでもある。
3. 単独行動に慣れる
女子力を上げたかったら、女子同士で集まる時間を減らす。
女子会も、ランチも、よほどの仲良しとだけにする。
それも「女子会」と称して集まるようなことはやめる。
自由な時間は、できるだけ一人で行動する。
「おひとりさま」になるためではない。
「二人」になるために一人でいるのだ。
4. 全員のなかの一人であることを覚えている。
自分が自分にとって特別な存在になる。
そこから、誰かが自分にとって特別な存在になり、その人にとっても自分が特別な存在になる。
これがわたしの女子力の目指すところだ。
この、一人の世界と一人の世界、それが合わさる二人の世界を成り立たせているのは、その他全員とともにある世界である。
特別ということと、みんなが等しいということを同時に感じる心を持って、女子力を高揚させていきたい。
5. 自分のキャラクターとその年代を理解する。
コアの部分で、自分はどんなキャラクターの女性でそれは何歳くらいか。
自分のことだから誰にも遠慮しないで見極めてみる。
わたし自身は、もっとも育っているときにも女子大生止まりの少女キャラだ。
コアなところは4歳くらいじゃないかと息子にいわれたこともある(!)
それをそのまま出して服やアクセサリーを決めたら、とんでもないことになるけれども、どこか少女らしい雰囲気のあるものでないと似合わないのも確かなのだ。
「いくつになっても」は禁句といったけど、これは80歳になっても変わらないと思う。
その自信がある。
反対に、年齢にしたら60歳くらいの円熟したキャラクターを持った人もいるだろう。
その人はたとえいま30歳でも、大島紬なんかを着たときに、もっともシックで女性らしく見えるに違いない。
若く見せたい、あるいは年相応に見せたい、というような意図とはまた違った軸で、自分のキャラクターを理解し、雰囲気をまとう。
そこに「一致」が生まれ、人に親しみやすさを感じさせることにもなると思う。