さくるの女子力アップ講座 中級編 女子力マインド②
女子力マインド、昨夜のつづきを朝から書いちゃう。
書きたくて、他のことが手につかないから。
6. 女は保湿
(元)同級生間では「美容番長」で通っているわたくし。
スキンケアとメイクにこの16年ほど凝っている。
個人的な趣味の域なのだけれど、とくにスキンケアについては、一つだけ、誰にも薦めたい言葉がある。
それは「女は保湿」。
わたしのオリジナルではなくて、上級編で触れる予定のランジェリー店のスタッフが合言葉のように間投詞のように遣っていた言葉だ。
ランジェリー店だけに、彼女のいう「保湿」は全身の保湿を指すわけだが、ここはまず、顔のお肌の保湿を徹底する意味で。
女子力は潤いから生まれる。
お肌かさかさは、年齢のせいではない、とわたしは断言したい。
原因を順に推察していくと、クレンジングの洗浄力が強すぎる、洗顔料の洗浄力も強すぎる、その後の保湿のタイミングが遅い、保湿剤の量が少ない、合間に補給していない、あと全体に肌をこすりすぎている。
基礎化粧品からメイクへの手順のうち、クレンジングと洗顔には意識して投資したい。
どうせ洗い流しちゃうんだから、とあなどるなかれ。
大事な潤い成分やまだ残っていて欲しい角質層まで溶かして洗い流しちゃう可能性のある、クレンジングと洗顔はデンジャラスな行程だから。
この項いくらでも長くなりそうなので、切り上げるけれど、とにかく、クレンジング剤と洗顔料は、できれば化粧品メーカーのものを使いたい。
「女は保湿」の最重要事項ではある。
7. 華美にはならない媚にもならない
わたしの女子力向上話に抵抗を表す女性もいる。
お化粧は華美になる、と思いこんでいたり、男性に媚びることはしたくない、と考えていたりする人たちだ。
もちろん、それはそれでいい。
でも、わたしも抵抗したい。
わたしがしたいお化粧は華美になるものではないし、男性に媚びるための女子力でもない。
むしろ逆、と思ってもらったほうがいい。
「華美」って、二つに分けたらとてもいい漢字だ。
「華やかで美しい」。
その二つをくっつけて、なぜ避けるべきもののような意味合いを持たせたのか、言葉を作った誰かのイヂワルを感じないでもない。
わたしたちも、かつて成長期には、女性らしく装ったり行動したりすることをあちこちから抑制されたかも知れない。
もうそんなプレッシャーからは逃れられる。
逃れても誰も追いかけてはこない。
女子力を高め、華やかで美しい女性になって、男性を眉一つで動かそうではないか。
8. アップデートする
女性らしさに向かって、再スタートを切るときに、覚えておきたいのはきょうの日付である。
いまは西暦もしくは平成何年か、何月か、何日か。
過去を振り返れば、自分が輝いていた時代があるだろう。
わたしだったら21歳のときだな。
若さが女性らしさに向かって花開く瞬間の輝きがあった、てんてんてん。
あのころは、しかし昭和であった。
昭和を背景とした輝きと、平成もカウントダウンが始まった現在における輝きは違う。
それこそ眉の描きかた一つ、口紅のラメやパールの入り具合一つとっても、全く違うのだ。
街へ出て、きょうという日を思いっきり味わうこと。
いまなにがかっこいいのか、かわいいのか、綺麗なのか。
それらを十分に吸い込んできてから、その光る粉を自分にどう纏わせようかと考える。
アップデートは真剣に。
ここが大きなポイントになる。
9. 「 一汁一菜でよいという提案」
これは、料理研究家の土井善晴さんの新刊のタイトルである(グラフィック社)。
男性目線で女子力とされるものの一つに「家庭的な料理が作れる」という技能があるかも知れない。
いわゆる「肉じゃが」ね。
土井善晴さんは、お父さんの勝さんから二代に渡って、女性が家庭で作る料理を研究し、料理学校とテレビや書籍、雑誌で指導しつづけてきた人だ。
その彼が、料亭での修業に始まる40年近いキャリアの集大成として、
「家庭の食卓には、お味噌汁とお漬け物とご飯があればよい」
とういう提案をしているのだ。
肉じゃがどこにもなし。
最終学歴が「土井勝料理学校中退」のわたしとしても快哉を叫びたい。
彼はさらに、家庭料理が「いつもいつもおいしい必要もない」なんてこともいってくれている。
おかずを兼ねるお味噌汁だから、ある程度具沢山にすることになるけれど、経験上、具沢山にしたらお味噌汁はたいていおいしくなっちゃう。
つまり、なにも気にすることなく、リラックスして毎日毎食一汁一菜を励行していればよいのだ。
ここで一句。
「女子力は具が沢山のお味噌汁」
10. 清楚・アズ・ナンバーワン
わたしにメイクのなんたるかを最初に教えてくれたのは、当時外資ブランドGのメイクアップアーティストだったT先生(男性)だった。
彼が一般のお客さんに施すメイクはとにかく清楚。
ブランドCに転職していた時期に、カウンターに母を連れていったことがあった。
当時75歳だった母は「後期高齢メイクをお願いします」といってT先生に受けていたが、最後に口紅を塗るとき、彼は母とわたしにこういった。
「おかあさまはお肌が綺麗で明るいから、まだまだ淡いカラーの口紅でいいです」
真顔の先生に、わたしはくすくす笑いながらいった。
「75歳でまだまだ淡い色でいいなら、おかあさんはいつ濃い色の口紅を塗るの」
先生も思わず笑っていたが、その言葉通り、母は最後まで淡いカラーの口紅でいい人だった。
わたしが彼から学んだのは、男性にとって、女性の清楚さはいつも憧れだということ。
その女性が祖母であっても、母親であっても、妻、恋人であっても、それは変わらないということ。
あれからわたしもだいぶ熟練してきて、赤い口紅をつけても清楚という領域に挑戦するようにもなったが、彼がいつかつけてくれた優しいピンクのグロスの色は忘れない。