わたしに「わたし」を重ねる
2年ほど前から、依頼をいただいて、文章教室を随時開催しています。
記念すべき第1回は、中高の同級生たちの勉強会でした。
そのときからずっと、生徒さんたちに最初にしてもらっていること。
それは「一人称を選びなおす」ということです。
日本語には一人称が数多くあります。
英語なら「I」一つですよね。
日本語は、一人称を使わないで自分のことだと察してもらう、という方法まであるほど、一人称が複雑な言語なのです。
それなのに、なのか、そうだから、なのか、一人称を自覚を持って使うという機会も、わたしたちには、なかなかに与えられないように思います。
いまあなたが使っている一人称はなんですか。
それはいつから使っていますか。
なぜ、その一人称を使っているのでしょうか。
これらの質問に答えていただくのも意味があることなのですが、わたしは気が短いほうらしく(気づかされたエピソードは後日)いま使っている一人称をいったん机に戻して、他のぜんぶの一人称とシャッフルしてから、改めて選びなおしてみませんか、とお勧めするほうが性に合っています。
それをすると、この「自分」と、文章のなかの「自分」が一致します。
意識の自分と、文章の話し手が同じになるのです。
わたしはほんとうはこう思っているんだけど、どうしても文章には表せない、文章を書くのは難しい、という思い込みが外れます。
いままでは、なんとなくで使っていた一人称を、自分自身のものにチューニングし直したとき、まるで他人のようだった文章のなかの自分が、この自分にぴったりと重なります。
思っている自分と、書く自分の乖離がなくなるのです。
ここからは、なにを書いても自分自身の文章。
多少疑問が残っていても、そういうことにしてしまうのがコツです。
強引ですが。
わたし、わたくし、ワタシ、あたし、あたくし、あたい、あちき、わらわ...
女性的なものを仮名で書くだけでも、すぐにこんなに挙げられます。
漢字では、おそらくいちばん多くの人が使っているであろう、私。
これら思い起こせるすべての一人称のなかから、自分にいちばんぴったりくるものを一つ。
きょうからその一人称を使って、文章を書いてみませんか。
そうしたら、あなたはもう、さくる文章教室のベーシック修了です。
次はいきなり中級ですからね、ご用心ください。