suckle nouveau 2018

エッセイスト・羽生さくるのブログ。

お題頂戴エッセイ大喜利⑥ 美意識

わたしが思う「美意識」とは「かっこわるいことをしないこと」。

 

かっこいいことをするのはさほど難しくないし、意識もとりたてて必要としない。

かっこいいことは万人受けするものだし、

受けなければかっこいいと思ってもらえない。

だから、かっこいいことはポピュラーだ。その形を踏襲すればいい。

 

いっぽう、かっこわるいことをしないためには、まず我慢しなければならない。

かっこわるいことというのは、たいてい、我慢のなさから生まれる。

人は、ほうっておいたらかっこわるくなるものだ。

無精髭みたいに。

 

しかたない、といいたくなるところを、しかたなくない、とふんばる。

それが美意識だともいえる。

いわゆる二枚目。

二枚目って、わたしにとってはハンサムな人ではなくて、

かっこわるいことをしないようにこらえている人。

その人は美意識を持っている。

 

文章を書くときに、わたしが意識するのは、違和感を排除することだ。

それも徹底的に。

これが書きたい、という気持ちは一割でよくて、

あとの九割のエネルギーは、違和感をなくすることに使う。

違和感の排除は、読んでいる人の意識にはおそらく上らない。

あくまでも、わたしにとっての違和感なのだけれども、

徹底して排除することによって、つまりアクが抜ける。

その結果が引っかりの少ない文章ということになるのだと思う。

 

人においても、自分自身の美意識にもとづいて、

違和感を取り除くことを努力している人は、すっきり見えるだろう。

人の場合はアク抜けより垢抜け、か。

かっこいいね、といわれるまでには、

どれほどのかっこわるさを我慢してきたことか。

 

かっこわるさを隠さないことがかっこいい、

という考えかたもあるだろうけれども、

わたしは、甘えてるな、と感じる。

美意識とは、持ったら人生ハードになるもの。

それでも手放さないからかっこいいのである。