suckle nouveau 2018

エッセイスト・羽生さくるのブログ。

お題頂戴エッセイ大喜利⑩ 線香花火

8月のある夕方、まだ明るい時間に帰宅したときのこと。

マンションの前のガレージで、小学生の女の子が、

おとうさんおかあさんと手花火で遊んでいた。

横にバケツを置いて。

弾ける音と、煙と、匂い。

花火とあたりとのコントラストはまだ淡くて、それが微笑ましかった。

 

暗くなるのが待てない。

わたしのこどもたちもそうだった。

ママもういいよね、もう花火やってもいいよね。

まだ明るいんじゃないの、と答えても、

またすぐに、もういいでしょ、といってくるのだ。

 

根負けして、チャッカマンとお砂場のバケツを出してやる。

マンションの部屋は1階だったので、テラスで遊べた。

きょうだいで花火ができるのは楽しそう。

二人の様子を見るのがうれしかった。

 

わたしも小学校の低学年の頃には、

明るいうちから花火を近くの公園に持っていったものだ。

夏が近くなると、七の日の虚空蔵様の縁日に花火屋さんがくる。

台の細かい仕切りのそれぞれに花火が並べてあり、

好きなのをザルに取って、おじさんにお勘定してもらうのだ。

 

わたしがよく買ったのは、

ピンク色の軸に銀色の火薬がついたのと、線香花火だった。

ピンク色のは、火花がすすきのように落ちていくのが綺麗だった。

赤紫と黄色の紙がこよりになった線香花火は、

じっと見つめていられるのが気に入っていた。

 

最初にできる火の玉の大きさが決め手。

でも、大きい大きい、と喜んでいるとそのまま落ちてしまったりもする。

あの残念感は独特だ。

今回は無事に火花が出始める。

ぱぱぱ、ぱぱぱ、というリズムが心地よい。

目をきゅっとつむって残像を見て、目を開いて火花を見て、を繰り返す。

 

静かになって終わったと思うと、

ち、ちちち、とまた出てくるのが線香花火のもののあはれ

小さな滴が流れたら、最後はちゅっ、と落ちて暗くなる。

花火の終わりは夏の終わり。

また来年ね。