羽生さくるができるまで ③デビュー!
27歳で結婚をしたのを機に、編集プロダクションで週3日働きはじめました。
単行本の編集は初めてで、初稿から校了まで、一人で担当する大変さを知ることに。
2年めの夏、週刊誌時代の知人から、新書を1冊書き下ろしてみないかという話が突然にやってきたのです。
前にも書いたように、締切は1か月後。
プロダクションの仕事は辞め、書き下ろしの準備に没頭しました。
ともだちのインタビューのメモから、数十枚のカードを作り、それをアパートの床いっぱいに並べました。
エピソードをグループ分けするためでした。
そして、職場のあるシーン、OLのある1日、OLの四季という、時間の長さと流れで章立てをし、それぞれを、コラム、小説、俳句の解釈と鑑賞、の形式で書くことを決めました。
さらに、ページ割、字取り、行取りもしてから、本文を書き始めました。
時間がなかったので、原稿が書けたら編集もできているようにしたかったのです。
少女漫画家でもあるデザイナーが、原稿と同時進行で挿画を描いてくれました。
いよいよ入稿というとき、編集者から、名前はどうしますか、と聞かれました。
アルバイト時代からずっと本名で仕事をしていましたが、出版するにはやはりペンネームが必要。
婚家に迷惑を掛けることになったらいけないなあ、なんてことも考えたりして。
アパートには、友人の画家から結婚祝いにもらったスイカズラの木版画が飾ってありました。
スイカズラの花はティンカーベルみたいでかわいいなあ、スイカズラって、英語だとhoneysuckle、ハニーサックル...
小さなメモ用紙に、はにーさっくる、と書き、はにいさくる、にしてみて、でも羽仁さんて映画監督がいるから.....羽生はどう、羽生さくる、あ、いい、これ。
と、2分くらいで決定。
タイトルは、OL歳時記の本文からです。
「賞与の日部長さんがサンタクロース」
もちろん、ユーミンの「恋人がサンタクロース」のパロディ。
ペンネームもタイトルも、もじりでつけたというところが、わたしらしい...
思えば「羽生さくる」になってからの人生のほうが、本名だけで生きていた時間より長くなりました。
出会った方々から「さくるさん」と呼ばれるのも、とてもうれしく思います。
これからも、この名前で、日々、言葉を選び、文章を綴っていきます。