suckle nouveau 2018

エッセイスト・羽生さくるのブログ。

お題頂戴エッセイ大喜利⑪ FB友達について

息子が歩くようになって、最初のうちはわたしも近所の公園に連れていった。

まずはお砂場。

他の子と当然、おもちゃの取り合いになる。

その子たちのおかあさんはいう。

「おともだちに貸してあげなさい」

「おともだちと仲よくね」

 

おともだち、とわたしは心のなかで繰り返す。

いま会ったばかりなのに。

そのうち息子がその子の顔のまんなかをぎゅーっと握ってしまったりする。

居たたまれなくて、公園にはいかなくなった。

息子は電車が好きだったので、電車を見せたり乗せたりして日々を過ごした。

 

Facebookの「友達」について考えると、あのお砂場の「おともだち」を思い出す。

わたしと「友達」になってくれている人たちについて、

そう思っているわけではなくて、言葉遣いの問題として。

 

きょう会った人と「Facebookで繋がりましょう」といって

「友達リクエスト」をしあう。

会ったことがない人とも「友達」になる。

Facebookの」という枕詞は外せない気がする。

 

他の言葉にいい換えられないだろうか。

「フレンド」「メイト」「メンバー」「バディ」「ガイ」…

片仮名になるな、どうしても。

 

「友達」という言葉を遣うとき、わたしは「ともだち」と書く。

「達」を「たち」とは読みたくないという好みと

「ともだち」の音を大事に思うからだ。

 

人生の最初にできたともだち。わたしは4歳で、彼女は一つ年上だった。

二人で交わした「ともだち」という言葉の響き。

生涯持っていたい。

 

目を見て話して、いっしょに笑う。

わたしの「ともだち」はそんな人たち。

Facebookで「友達」になった人たちからも「ともだち」は生まれる。

以前から「ともだち」だった人ともFacebookで「友達」になることがある。

どちらの矢印からも、楽しさと和やかさ、温かな気持ちが溢れるといい。