suckle nouveau 2018

エッセイスト・羽生さくるのブログ。

お題頂戴エッセイ大喜利⑨ 想像力

自分の想像力について、初めて自覚したのは11歳。

なにげなく見ていた教育テレビの通信高校講座の現代国語で

志賀直哉の「網走まで」の朗読を聴いたときだった。

 

冒頭の上野駅の改札の描写。

大きな荷物を口を曲げてひっぱる人がいる、という一節で、見たこともない、

まして遠い時の向こうの上野駅のイメージが内側から立ち上がった。

自分もそこにいた。乗客の一人になって、

主人公の後ろから改札を通っていくところだった。

 

言葉による描写の力は、読む者の想像力を呼び覚まし、強化する。

その想像力は次に出会う言葉をイメージさせ、さらに自らを成長させる。

とくに若い時期の読書体験は、想像力を分単位で伸ばしていくものだ。

質も量もともに必要だろう。

 

しかし、想像力を育てる手段は読書には限らない。

それぞれが自分の感覚に合ったものを選びながら、

他にも触れて補完していくのが望ましいと思う。

 

わたしの場合は「網走まで」から始まって、言葉から映像を立体的に、

また空間ごとイメージする想像力を鍛えてきたようだ。

人の話を聞いているときにも、それが働く。

笑いあえる会話のときには楽しさが三倍増。

聞きたくなかった話を聞いたときが悩ましい。

一度立ち上がってしまったイメージはなかなか消えてくれないからだ。

想像力のスイッチがあって、入れたり切ったりできるといいのに、

と思わずにはいられない。

 

文章を書くときには、考えるより速いくらいのスピードで言葉を出していくので、

想像力をどのように使っているか、自分ではわかりにくい。

ただ、自分のなかにある言葉以前のものを、

言葉に変えて相手に届けるためには、

理解のプロセスを想像する力が大切なのは確かだ。

 

伝えたいのは、言葉ではなく言葉になる前のなにか。

相手の心に言葉を溶かし込む過程をイメージしながら書いている。